第5話「40才を過ぎて再び北海道へ かあちゃんとタンデムだ」

想い出の筆頭は野宿の北海道放浪(第1話)、そしてふたたび北海道へ。

第1話に登場する17才の北海道完全野宿のツーリングは30年以上経った今でも強烈に覚えています。同時に、榊原いくえの「水玉模様の日曜日」(だったと思う)や桜田淳子の「夏に御用心」、あおい輝彦の「あなただけを」、極め付けはたくろうの「落陽」この辺りの歌が北海道の想い出といっしょに頭ン中のHDに焼きつけられています。これはどうでもいいとして…。40才をすぎてかあちゃんと一緒に北海道へ再びツーリングに行きました。今から5年ほど前の夏のことです。今回はタンデム、単車はハーレーのロードキングでゆったりです。しかもインカムでつながれているし、音楽だって流れているので30年前とくらべるとリッチな旅です。しかし、くせなのか性分なのか、宿は予約をせず、おおまかな計画だけの二人の気楽な旅です。

稚内であの有名なライダーズハウスへ

今回の目的の一つは「大の大人でありながら、いかに昔の放浪ツーリングを再現できるか」にありました。僕は30年前に北海道を初めて踏んでから、その後は日本一周ツーリングに出てそのまま北海道に1年棲みついてしまったことなど、なんどか超長旅をしています。その頃は野宿を卒業し、ユースホステル(く〜っ、なつかしいこの響き!)がメインの宿泊体制でした。話がはずれますが、その頃は小樽のTGYユースで73連泊をしたこともあります。連泊と言うより住んでるんですね、これは。

ま、とにかく、いまどきの若者は「ユースよりライダーズハウスやんけ」と、放浪気分の片鱗を味わうために未知なる「そこ」に泊まろうと決めていました。小樽に上陸して北を目指し、稚内で銭湯を営む有名なライダーズハウスに行ってみました。聞いてみると、なんと1泊1000円なり、お風呂も入れて(銭湯だから当たり前か…)ご飯も作ってくれる、カンパで焼酎カラオケ大会もある、なんと、ギターも弾けて、みんなで声を張り上げることもできる。おっさんとおばはんのわたしらも仲間にくわえてもらって「おお、これが青春やろがい!」と、北の最果ての夜を奮闘、堪能しました。そういえばこの日にえらい猛者がいました。早稲田へ通うおじょうさんですが、カブ50cc.に山積みの荷物でソロツーリングしてるんですね。しかしその荷物が単車に比べて多すぎて重すぎて「走っていたらフロントタイヤが浮いてしまうんです」とのこと。あんたすんごいわ。根性あるわ。でも何をそんなにもってきたん?

もうひとり、忘れられない人とのであいがありました。70年代からタイムスリップしてきたような彼、CB750に乗って、やはりあてのない旅に出ているひとでした。首にはバンダナ、ダンガリーシャツにデニムのベスト、ベルボトムのGパン…ほんとに70年代のちょっと軟らかめのフォークシンガーみたいです。彼とはこの時の御縁で今でも親交があります。変わった方で、気ぐるみショーの超人になってたり、キックボクサーになるねん、とジムに入門したり。もとはハウスメーカーの営業さんだったのにね。ところでK村さん元気?

納沙布岬の座礁ロシア漁船。ウォッカでも飲んでたんやろ?

北海道に上陸して何日目かに、僕達は根室にいました。いちばん突端の納沙布岬(ノサップミサキ)からはロシア領の境界、水晶島まで1.5キロほどしかありません。岬の先に立ってみると、手が届きそうな足もとにロシアの漁船がグレーの塗装も真新しいままに座礁・遺棄されていました。ウニの密猟に日本領に侵入し、近付き過ぎて座礁したとか。後日談になりますが、このあと1年あけてとその翌年と、二度北海道にツーリングに行きました。おどろいたことに、一昨年にはまだこの船が真っ赤に銹び、朽ち果てた姿でそこにありました。見られた方も多いと思います。座礁の原因は色々説があるようですが、僕は船長がウォッカでも飲んで酔っぱらってたと思うのですが。

ライダーズハウスネタをもうひとつ。

さて稚内ではもうひとつ、印象的なライダーズハウスに泊まりました。「お母婆(おかば)」といいます。納沙布岬から根室市内へ向かって走ると海側にその建物はあります。御主人は大工さんでライフルマンで、ネイチャーガイドもされています。野生のにおいぷんぷんの人です。あまりに寒かったので「食」の看板に曵かれてたまたま入ったらそこはライダーズハウスでした。あの「食」の看板は効果的ですよ。レストラン併設で、そこではライブも開かれます。ちょっと大人な感じのライダーズハウスです。結局、この日はしこたま御主人と飲んで、その勢いで「明日はカヌーでツーリングに連れていってやる」との言葉にカヌー好きの私は1発でやられてしまい、予定外の連泊に相なり申した。翌日、でっかいおにぎりをおかあさんに作ってもらい、トラックにカヌーを積んで湖に行きました。「あれがイヌワシの巣だ」とか、藻が生い茂る人っ子一人いない静かな汽水湖をカナディアンスタイルのカヌーで漕ぎ進む雰囲気に、自称ナチュラリストの僕は酔いしれました。で、また夜はライブと飲酒。このライダーズハウスは忘れられません。そうそう、建物の裏は海岸で、そこには太平洋戦争時代の監敵哨(かんてきしょう)がそのままのこされています。いかれたら足を運んでみてください。ロシアの脅威があったんですね。おとうさん、おかあさん、お元気でしょうか?わんちゃんも元気かな?ところで若い人、「かんてきしょう」ってわかりますか?

寝るなっちゅうねん!

旅の後半のハイライトに走った三国峠、層雲峡への道。高速コーナーが続き、常時100キロくらいのハイスピードで飛ばせる道です。ここで最大のアクシデントが起きました。ゆるやかな左コーナー、ビッグツインの排気音が山々にこだまし、実に爽快な気分でハーレーをリーン(車体を傾けることです)させ、コーナーのセンター手前のバンク角が最大という、まさにその刹那、ライダーの私の意識する所とは別の瞬時の力が働き、「ガクッ!」とバイクがそれ以上に傾きました。「パンクか?」一瞬そう考えました。そして転倒を覚悟しました。

ところが、リヤタイヤが滑り出すこともなく、走り抜けてしまいました。「なんだったんだろう?」

そうです、かあちゃんが後ろで居眠りをしていたんです。よう落ちんかったこっちゃ。ハーレーだから車体が大きく重いので、多少は安定しているでしょうが、この時はもう「こけるっ!」と覚悟しました。車体が落ち着いてから、状況が理解でき、インカムで「寝たらあかん、ころびかけたがな」とどなりましたが当の本人は「ねてたかもねえ」だと。あのな、単車の後ろでコーナーの続く道は「寝たらあ・か・ん!」

 

今回はこれでおしまい。タンデムでヨメの居眠りにはお気をつけくだされい。第6話へ

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ウォッカで座礁のロシア船。この年の4月に座礁したとか。
今回の写真は、銀塩写真のペーパープリントをスキャンしています。ちょっとピンぼけでシャープネスに欠けますがお許しを。
稚内のあの有名なライダーズハウス。朝の出発風景
層雲峡へ至る道。後ろからかあちゃんがカメラで撮りました。このときはまだ起きてたんですけどねえ。
野付半島にて ハーレーにさっそうと跨がるかあちゃん、おーい、腰がひけとるぞ。
70年代るっくバリバリの彼。あなたのおかげで大変盛り上がりました。また拙宅へどうぞ。(以前、彼は拙宅へ来られいっしょに飲酒の宴をいたしました)
お母婆(おかば)の目印の展望台。御主人の手製だけあって結構スリルがあります。(ゆれるんですわ)