上の旅支度をした赤いホンダは、17才の時に北海道へオートバイでひとり旅した時の思い出に、21才頃に描いた絵です。7月にトラックの横に乗ってバイトをしたお金等、4万円あまりが全財産で、30日ほどの超貧乏放浪記でした。僕ともうひとりの男子、それに仲の良かった二人の女の子と春頃から、8月に北海道に行こうという気運が高まっていました。何か、どうしてもイカネバナラナイ、みたいに気運が高まっていました。あとの三人は「ミニ周遊券」で国鉄の夜行に乗って先に北海道に行ってしまったので、自分だけがおいてけぼりをされたようで、もういてもたってもたまらずに、そんな気持ちの旅立ちでした。ハンカチに日本全土が印刷されたもの一枚が地図がわり、それをたよりに日本海側を道路サインにしたがって北上し、大阪を出て3日目の夜中に青森の青函連絡船の乗場に辿り着きました。ハンカチサイズでは近そうに見えた北海道は、早朝から夜中まで走って、ただひたすら走り続けた彼方でした。青森に着いた時には「こんなに遠かったのか」と距離を実感しました。宿など泊れるはずもなく、風呂なんか入る余裕はなく、朝、牛乳と食パン1斤を買って、朝食、昼食の2食はそれで終わり。夜は持って行った米をき、缶づめかボンカレー。そういえば、コールマンのガスストーブ用にホワイトガソリン・4リットル入りのポリタンクが積んであったのですが、今考えるとちょっと恐いですね。この絵には描いていませんが、実際にはシートにUS ARMYと書かれたオリーブドラブの布製の振り分けバッグが掛けてありました。当時ごく一般的なツーリングバッグです。125cc.の小さな単車は荷物で満載状態でした。ただ、このホンダのXL125、リッター当たり50キロ近く走ったと思います。超貧乏旅行には最適な相棒だったんですね。
はじめてみる北海道はあまりにも広く、激しく感動しました。ヒッピーにかぶれていた僕は「イージーライダー」という映画が好きでした。そんな僕を、まっすぐな北海道の道路が、アメリカの大地を「キャプテンアメリカ」(映画に登場するバイクの愛称です)で走っているような気分にさせてくれました。
またその年は有珠山の大噴火の年でした。函館から北上して襟裳岬を目指したのですが、途中の室蘭から先はどこも真っ白の灰が積もっていて、鼻の穴や目の縁が真っ白になりました。その顔をバックミラーで見て非常にヤバい顔だったのであわてて道ばたで洗いました。借りた水道のその横で西瓜を売っていたいたおばちゃんが、カットしたその西瓜を僕にくれたのですが、きっと余りにもみじめっぽく見えたんですね。それでとてもうまくて、うれしかったなあ。
結局、30日近く北海道内を放浪して、お金も底をつき、親に電話をして郵便局に小樽からのフェリー代を1万円くらい送金をしてもらい、大阪に帰ってきました。帰ってきた時の所持金は400円くらいでした。
絵のこと
はじめての北海道は若かった僕には充分インパクティブで、その後ずっと「旅」に憧れ続ける自分を創ったと思います。で、上のタイトルの絵はその時の北海道の旅をイラストを交えた読み物を創ろうと思い、描いたものを使ってあります。21才の頃の作品です。
約30年前に描いた原稿が出てきたので、この「旅のこと」の第1話に掲載しました。イラストを描いた紙をはりつけ、手書きで文字を書いていますが、ワープロなんてありませんでしたから。
僕は先に書いたように、ヒッピーかぶれで、高校生の頃は髪の毛が背中くらいまでありました。でもこれを描いた当時の自分はデザインスタジオで働くようになっていて、髪の毛ものばせず、長旅に出る訳にも行かず、そんな悶々とした気持ちをあの北海道の旅は…と、愛おしんで書いたものです。
その紙面には、少ない予算のことや、日本海ぞいの漁村の間を走り抜けるシーン、食パンと牛乳を道ばたで食べているシーン、バス停で野宿する所等のシーンが描かれています。「つげ義春」のどこか芸術的な漫画が好きで、その影響がどことなく表れています。
表題の Das Reisender Ich というのは好きだったドイツ語でむりやり創ったものです。「旅人のオレ」みたいなことをいいたかったんでしょうが、もちろんデタラメですのでこんなドイツ語を信用しないように。ああ恥ずかしい。
第1話はこれでおしまい、第2話に続く。