第6話「今はない戦艦大和と、今もあるスリルの旅館、福山・尾道」

今回はクルマの旅、正月開けのある日、福山へ向かいました。

今回は近場で冒険的要素は余りないのですが、2つの印象でもって、書き残しておきたい旅です。

以前、毎月のように仕事で広島県福山市へ行かなければなりませんでした。1993年頃でしょうか、1999年頃までつづきましたが、プレゼンパネルなどもあったし、元来運転は好きなたちなので、いつもクルマです。そのころは三陽自動車道は全通していなくて、福山入りは中国縦貫道の東城で降りて、福山へ峠を超えるコースです。往路は大阪を朝早く出て、1日仕事をし、帰路は4時頃に福山を出て、再び東城から大阪へ向かいます。時間的に東城でなにか腹ごしらえをしないとならない行程です。で、その頃はいつも東城の日本一・美味しいおでん屋「香川食堂」に立ち寄ることがお決まりになっていました。なぜここを見つけたかと言うと、それは簡単明瞭。東城の街には当時他に3軒くらいしかお店が見当たりませんでしたから。もっとお店はあったんでしょうけれど、よそ者の僕には香川食堂がわかりやすかったのです。で、ここのおでんは天下一品!大きなお鍋に入った真っ黒のおでんたれに、これまた黒いはんぺんやら、たまごやらが浮かんでいて見るからに「むむっ、できるな!」という雰囲気です。さんしょの醤油煮を薬味にして食べると「旨い!」とうなること請け合い。それから何回行ったかは覚えていませんが、みなさんも機会があればぜひ行ってみてください。心配しないで、行けばすぐにわかりますから。

で、まず今回の旅の目的は、最近ごぶさたしている「香川食堂」に行くこと。それと、この街で有名な古い古い旅館に泊まること。これが第1日目の目的です。この旅館は「古い建物が好きなら三●荘という旅館があるけどなあ…」と、香川食堂の御主人が意味ありげに教えてくれていた所です。その言い方に妙な含みがあり、それを思い出してインターネットで探し当てたのです。第二の目的はあの「大和」を見ることです。今回はバイクじゃなくクルマでしたので特別な準備もなく、旅館の予約を済ませ、かあちゃんと二人で昼前に大阪を出ました。

でもその旅館は今でも「あった!」それは…

東城は、仕事で通ったあの頃は比婆郡東城町でした。比婆郡といえば思い出すのはあの「ヒバゴン」。イエティとかビッグフットとか野人(ヤレン)とかと同じ猿人か、原人かという類いの未確認生物です。たしかに東城町へいたる中国道は深い山の中を貫いていて、その雰囲気たっぷりの所です。2005年に庄原市に統合されてから比婆郡も東城町もその名は消滅しました。そういえばヒバゴンの話もこの頃あまり聞きませんね。

東城につく頃には天候は雪模様になりました。インターを降りて、本日のお宿の三●荘はすぐに見つかりました。雪の降る中で見る建物は大層な年代物です。冒険旅行じゃなかったのに、なにやら背筋がぞくぞくする雰囲気があります。ヒバゴンも潜んでいそうな感じです。旅館の玄関は広い土間になっていて、そこに軽トラックなんかもおいてあります。商人宿風でもあり、歴史を感じます。とにかくおいてあるものすべてが旧い。かけてある絵も掛け軸も旧い。おまけにちょっと恐い。特に白黒写真に手彩色を施した赤ちゃんの絵はちょっとぶるッ!とします。(写真参照、この絵の主人公の方、ごめんね)泊まっていたのは我々夫婦二人のみ。宿の中には冷たい空気がし〜んと流れ、物音も少なく、振り子時計の音だけが響きます。昔は若女将だった方の案内で黒光りのする階段を上がり、2階の客間へとおされました。部屋は細かな装飾が施された本建築の和風様式。手がこっています。なかなかイイ感じではないですか。

「では、ごゆっくり…」と女将がさがり、我々だけに。なんだかいつもより口数が乏しいことに、ふと気付いたりして、そしたらまたあの冷たい空気がし〜んと…。ま、このくらいにしておきましょう。これから行く方の楽しみが減るといきません。なにせ、電気を消してからがスリルがあるんですから。興味のある人はぜひ行ってみてください。いえ、普通の良いお宿ですよ。ええ、僕は好きです。お風呂も広いし、部屋も広いし、朝ご飯も美味しいし。でもあの冷たい空気がし〜んと…。

で、かんじんの香川食堂は、この時休んでました。がっかり。

大和はすごいぜ!おおきいぜ!でも、もうないぜ。

一夜が無事あけて、この日は尾道へ向かいました。尾道には映画「男たちの大和」の実物大ロケセットがあったからです。これが見たかったんです。尾道港から渡船で海を隔てた島の日立造船のドックに向かいます。船が近付くと、その大和のセットの威容が表れます。でかい!長さは艦首から190メートルと実物の半分くらいまで、艦橋はなし。主砲も二番砲塔のみの再現なのに大きい!これには結構驚きましたし、感動しました。だから瀬戸内海航路でどこかの船会社が観光船として「大和」を走らせてくれないかなあ。即、乗船するのに。宇宙戦艦ヤマトより現実味あると思うけど。念のために申し上げますが、このセットはもう解体されてこれを書いている2009年現在はありません。尾道に大和を見に行かないでくださいね。

遠山桜なら金さんだが?尾道のオオムラザクラとは?

ついでに上の写真ですが、確か市役所近辺にこのサインがあったように思います。良く見ると「オオムラザクラ」と読めます。天然記念物ともありますがオオムラザクラって??? 遠山桜(トオヤマザクラ)やったら知ってるけど「オオムラザクラ」とはいかなる桜か?私の名前は大村でありますが、なんぞ関係あるのでしょうか?また寄贈した団体が「大村ライオンズクラブ」、わたし、ロータリークラブの会員ですが、なんだか妙にからんでくる看板なので何かの縁とカメラに収めました。余談でありました。知ってる方がおられたら教えてください。

 

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これは東城川。1月の水は冷くて凍るかと思った。風情ありますなあ。
今回の旅は、2006年1月5日〜6日にかけてでかけた小旅行の記録ですが、大和の撮影用セットも、東城町という名前もも今はもうありません。あしからず。
さすがのさんちゃん、三●荘。古いぜ、ちょっと壊れてるぜで、しぶっ!

御存じ、映画『男たちの大和/YAMATO』のために造られた1/1スケール、総工費6億円の巨大セット。艦首から190メートル分を作ってあった。映画でも機関砲はおもちゃっぽかったけど、セットの機関砲は再現度がもっと甘かった。

宿の玄関。あっ!でたな、妖怪座敷わらしめっ!ちがった、座敷きおばはんめっ!
宿の居間にかかる絵。こ、こわいがなっ!誰の絵やろか?
東城の街で見つけたすんげえもの。国鉄指定で、おまけに編み物学校だもんね。良く見ると「師範科」という文字が見える。いまはもう無さそうなものばかりの看板。

大和セットの46サンチ主砲の前にそびえたつ我がかあちゃん。セットの砲塔は構造用合板とFRPで作ってあったので、たたくと「ぼん」という音がした。実際の砲塔は特殊鋼の塊だからごっつかったやろなあ。でも大きくてほんまに迫力あったわ。あ、大和のセットのことですよ。

セットはこのように作られていたと言う種明かし。