HONDA S600 1964年
4サイクルDOHC、4気筒/4キャブレター、排気量 606cc、57馬力/8500r.p.m.、MAXスピード145km/h、チェーン駆動FR 私の乗っていたS600はフレームが角形の前期型です。イラストは今回のために描きおろしましたが、CF1700というソニーのラジカセをいつも積んでいたのでそれも描いてあります。
S600の想い出、来た日にトラブル、修理をしてもまたまたトラブル。
好きな「モノ」の第1話はホンダのスポーツカー、S600のイラスでスタートです。1980年代後半から1990年代前半まで乗っていました。これを書いている現在、45年ほど前のクラッシックカーですが、乗っている当時でさへも相当のオールドタイマーでした。このS600は、車検から上がってきたところを知り合いから譲り受けたんですが、その日に電気系がいかれて動かなくなりました。大東市にあるS600専門の工場で車検整備を行っていたにもかかわらず、です。その次は1週間後に、まだ小さかった息子を乗せて、倉敷へドライブに出かけました。この時はS.Aで観光バスのお客さんから質問と喝采をいただき、さっそうと走り出したのですが、その後、回転が上がらなくなり、しまいにはエンジンストップ。件の観光バスに道路の脇にエンストで止まっているところ抜かされ、恥ずかしい気持ちになりました。発電コイルの焼き切れで、JAFのお世話になり、レッカーに引かれて兵庫県の電装工場へそのままドック入り。電車で倉敷観光をして、二泊後に、引き取りに行って大阪に帰ってきました。まあ、こんなトラブルを数えたらホントにキリがありません。それでもこのクルマで当時独立ほやほやだった僕は、大阪市内、尼崎、名古屋へと打合せに走りまわってていました。不思議なことに打合せへの途上ではトラぶったことはありません。このクルマが理由でアポに遅れたことはありませんでした。帰路に阪神高速でオーバーヒートしたことはありましたが。その点はとても馬主孝行ですね。
小さくて精密、きれいな宝石のようなクルマでした。
今から考えてみるとホントに小さなクルマでした。全長3.3メートル、全幅1.4メートル、排気量は600cc。ドアもワイパーもシフトノブもABC(アクセル、ブレーキ、クラッチ)ペダルも、すべてミニサイズ。ボンネットの中のキャブレターも可愛いのがきちんと4連着いていました。でも、安っぽさはなかった。ボンネットの中も、トランクも、ドアの内張りも、ドアハンドルも、とにかく精密で、きれいに丁寧にデザイン統合され、幌(ほろ)の骨にいたっては、本当に良くできていました。短いシフトノブでカチリ!と決まる感覚はとてもレーシーです。いまでもその一つ一つのモノの良さは忘れていません。
それとエキゾーストノートが良かった!「クォーン…」と吠えるエンジンは最高!5000回転から8500回転のフィーリングは格別なものです。その割に遅かったけど。ライバルだったトヨタのヨタハチ(800cc.、2気筒)とくらべるとモノとしての価値観はS600のほうがずっと上だったと思います。(ヨタハチファンの人、ごめんなさいね)
テレビに出た!
思い出と言えばもう一つあります。それはこの「S600」のお世話になっていたクルマ屋さんのお声掛かりで、何台かの「S」といっしょにテレビに出たこと。テレビ大阪制作、タージンが司会の30分番組「趣味人間集れ!」(たしかこんなタイトルだったかと…)で取り上げられ、阪神高速をロケ車と一緒に走り、対談も行いました。自分のクルマがブラウン管に出た時は嬉しかったですね。
今でもSが忘れられない。
トランクにはいつも予備の部品と工具を一杯積んで走っていました。燃料ポンプやポイントはなんどか予備部品に助けられたものです。しかし10年くらい持っていた間に、修理費は小さなベンツの新車が買えるくらいになっていましたし、そうしてお金を掛けてたとしても、完璧にはならず、またどこかが壊れる…。悲しかったけど、会社もスタッフが入社し、お金がかかるようになってきたのでその資金の足しに手放しました。ほんとに悲しかった。愛していました。今でも時々、銀のボディに赤いシートの1964年型の「あのS600」に乗っている夢を見ます。
で、今はどうかと言うと、やっぱり「ホンダのS」に乗っています。理由はもちろん、あの「S600」のつながりで。
今回はここまで。